阪急杯 予想
阪急杯(GIII)
阪神競馬場 | 芝1400m(内回り) |
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スタート地点 | 向正面左、2コーナー奥のポケット |
最初のコーナーまでの距離 | 443m |
最後の直線距離 | 約360m |
脚質 | 先行馬・差し馬が有利 |
枠順 | 内がやや有利 |
内回りはコーナーがキツく、大外枠を引くと、外に回らされるため、ロスが大きい。
枠順からは、内側の芝が荒れていない限りは内枠が有利となっている。
ハイペースになりやすく、クラスが上がるに連れて差し馬の好走が目立つ。
- 阪急杯は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場の芝内回り1400mで
施行する中央競馬の重賞(GIII)競走です。
- 競走名は優勝杯を提供する阪急電鉄から冠名が取られた。
阪急電鉄は阪神競馬場の最寄の駅である仁川駅に乗り入れている鉄道会社である。
開催地 | 阪神競馬場 |
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格付け | GIII |
1着賞金 | 3800万円 |
賞金総額 | 7200万円 |
距離 | 芝1400m |
出走条件 | サラブレッド系4歳以上(国際) |
負担重量 | グレード別定 |
第1回施行日 | 1957年6月30日 |
特記 | 地方所属馬のみ、上位2着までに高松宮記念への出走権 |
- 阪急杯(GIII)概要
本競走は1955年から1956年の2年間だけ施行された、阪神競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「阪神記念」を前身とし、1957年に阪神競馬場の芝2200mの4歳(現3歳)以上のハンデキャップの重賞競走「宝塚杯」として新設された。
1960年に阪急電鉄から優勝杯の提供を受けると名称を現在の阪急杯に改名、施行距離を芝1800mに変更、1965年のみ芝1850m、1967年から1971年は芝1900m、1972年からは芝1600m[1]、更に1981年の短距離重賞路線整備に伴い芝1400mと初夏のハンデキャップの短距離重賞競走として定着していき、1984年のグレード制施行によりGIIIに格付けされた。
1990年には混合競走に指定され、外国産馬の出走が可能となり、1996年には高松宮杯(現在の高松宮記念)のGI昇格・距離短縮を中心とした短距離重賞路線の再整備に伴い芝1200mに変更。1997年には高松宮記念のステップレースの位置付けになり、出走資格を4歳以上に変更された。
2000年には開催時期を2月末から3月初めに、負担重量を別定にそれぞれ変更、更に特別競走に指定され地方所属馬の出走も可能になり、2005年には国際競走に指定、2006年には短距離重賞路線の再整備に伴い再び芝1400mに戻した。
関東圏の高松宮記念の前哨戦オーシャンステークス(2006年新設)と対になる競走で、関西圏の高松宮記念の前哨戦となる重要な競走である。
出走資格は、サラ系4歳(旧5歳)以上のJRA所属の競走馬、地方所属の競走馬(3頭まで)及び外国調教馬(8頭まで)。
負担重量は56kg、牝馬は 2kg減を基本とし、更に牝馬限定GI級優勝馬を除くGI級優勝馬は3kg、牝馬限定GI級優勝馬、牝馬限定GII級優勝馬を除くGII級優勝馬及び施行日当日から過去1年以上超の牝馬限定GI級優勝馬を除くGI級優勝馬は2kg、牝馬限定GII級優勝馬、牝馬限定GIII級優勝馬を除くGIII優勝馬及び施行日当日から過去1年以上超の牝馬限定GI級優勝馬または牝馬限定GII級優勝馬を除くGII級優勝馬は1kgの負担が課せられる。ただし、2歳時のグレード・グループ優勝は対象外。
なお地方所属馬に限られるが、上位2着までに限り高松宮記念の出走権(優先出走権ではない)が与えられるトライアル競走である。
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